昭和50年07月29日 朝の御理解



 御理解 第13節
 「神は向こう倍力の徳を授ける。」

 どういう向かい方をする事が倍力の徳か。倍力の徳と言う事は、数字的に云う、二倍とそう言う事じゃないと思うですね。これは限り無いと云う様な内容があると思うです。そういうお徳を受ける。お徳を受けて行くと云うお徳を授けて頂くと言う所に、お道の信心は大体あると思うんです。ですからどうでも、どんなに熱心に信心をしておっても、例えば毎日日参りをさせて頂いておっても、日々の生活の中に、不平があり不足があっては、先ずおかげは受けられないと思うて良いですね。
 又は信心しておって、どうしてこんなと云った様な考え方では、先ずおかげは受けられない。信心させて頂いておって起きて來る事、その全てが神愛であると。おかげを下さる、本当のおかげを下さるための神様の働きだという頂き方。そういう感じ方がだんだん出来て來るおかげを受けなければいけない。それには矢張りその時点で、その時点なりのやっぱり一生懸命と云うか、いっぱしの信心が出来ておりませんと、そういう考え方が起きて来ませんですね。
 日頃は御無礼ばっかりしておる。そして何かが起こって來る。そこであぁこれは神様の御都合だという風には頂けないです。やっぱり御無礼しとるけん、御気付け頂いたといった様な風にしか頂けないし。又はそれこそ仕方もない信心しておってから、やっぱ信心いっぱししとる様なつもりで、どうしてこんな事が信心しとるのに拝みよるのにと言った様な心しか起きて来ないんです。いっぱしの信心させて頂いておる。だからそういう考え方で、如何に向こうておっても、本当の神様へ向かうと言う事ではない。
 神様へ向かうと言う事は一つの確信をもって向かうと言う事です。私共が引き揚げて帰って参りましてからの生活と云うものは、大体帰って参りましても、酒の配給をしておりましたから、親子五人六人の生活くらいは出来るのです。酒の配給だけで。所が私が帰りましたその年でしたでしょうかね。酒の配給店が殆ど半分になりました。私共の椛目それから上が矢作、下が島という部落がございます。その中に三軒の酒屋があった。私の方が一番広くて私の方が一番実績は持っておるんです。
 けれども地理的に一番小さい村ですからね、椛目と言う所は。矢作と言う所は相当大きい村。島も相当大きな村です。四、五十軒位ある。矢作も四五十軒位ある。椛目という所はその当時は十何軒位しかなかった。ですから実績はあるけれども、中々それが認められない。結局投票と言った様な事になった。当時今ここで修行しとります公子さんのお父さんが、村内のそういう色んな噂を聞いて来て、これは大坪さん矢作と島にどうでも一つ、タオルの一筋なっとん配ってから。
 どうぞお願いしますと云うて回らにゃいかんですよと云うて見えた。その時分帰った当時の信心ですから、まぁ言うなら、訳は分からんなりに燃える様な信心をしておる時期ですからね。例えて云うなら、まいないをしてからでも頂こうてんなんてんち、一つも思うてない。只神様におすがりをして、おかげを頂こうと云う腹ですからね。明けて見たところが、見事に私の方は落ちておった。
 島と矢作だけになった。そぉら何十年間酒屋をやって来ておりまして、その配給だけで立って行く、云うならば生活の道が、そこで途絶えた訳です。私は引き揚げて帰って来たばっかり、家に年寄りと妹達夫婦が、その商売をやっておって呉れたというのですからね。それが酒の配給店を止めなければならなくなった時には、もう本当に生活の道が絶えたという感じです。所が私はその時これはもう瞬間のもんですからね、さぁこれからどうしようかという気が一つも起こらなかったです。
 これは神様が酒屋てんなんてんよりか、もっとよっぽど増しなお商売を、勿論こちらが商売人ですから、商売より他に立つ道を知りませんから、酒屋よりももっと良い商売を、配給なんかのケチな商売じゃなくて、もっと良い商売をさして下さるに違いはない、これが私の確信でした。すぐそのことを御礼に出らせて頂きましたら、親先生が、そりゃあんたどうするのと言われました、親先生が。
 そりゃ本当云うたらそれです。そうだろうと思うです。私自身も大体はさぁどうしようか、お先は真っ暗と言う事だったでしょうけれども、これは実感ですからね私の。さぁどうしようかという様な思いでは全然なくて、これは神様が愈々おかげを下さろうとする働きに違いはない。これが私の確信でした。私は思うのにね、神様へ向かうと言う事は、そう言う事だと思うです。どういう生活が四人の七人、八人ですか、あの時分の家庭が。さぁ明日からどうするかと言った様な事に直面した時にです。
 おかげとして頂ける心が出来る。皆さんが日参り夜参りなさる。一生懸命修行なさっておられるが、いざという時に、そういう受け方が出来る事の為に、信心修行なさっておられると言う事。またそれが実際本当なんです。肉眼をおいて心眼を開けと仰る事はです、肉眼的に見れば、それは難儀に見えるですけれども、心の目をもってすると、それは神様のいわばおかげ頂かせたし、徳を受けさせたしと云う、一念の他にないのですから。ここら辺のところを、先ず一つ大掴みに分かっとかにゃいけません。
 それが皆さんの、愈々の時に実感として受けられる様なおかげを頂いておかねばならない。昨日、一昨日の、一時の御祈念の後の御理解が、この御理解十三節でしたね。私は甘木の初代と、アメリカに布教された福田先生の、たまたま金光教徒お道の新聞に、その二つの記事が出ておりました。それからヒントを得て、一時の時の御祈念の後に、ここの御理解の所を頂きました。
 甘木の親先生あたりの場合には、いつも背水の陣であった。布一寸買いません。または、お米一粒、お下がり以外には頂きませんと云った様な生き方をなさった。そこにはだからお米のお供えがなからなければ、夫婦の者が断食をするより他にはないと。いつも云うならばままよという心。もしここで人が助からんで、お供えがないならば、死んでもよいという様な、先生方御夫婦の心と云うものは、そういう行き方。それ程しに神様を信じきっての布教であったと云うことです。
 そこから初代の連れ合いである所の奥様の、親先生が亡くなられて後の、云うならば述懐のお言葉の中に、そう言う事があってから、間もなくそれこそドンドンドンドン人が助かるようになりましたと云うておられます。そういう生き方に徳がある。神様を確信して疑わない生き方なんです。そういう向い方なんです。今アメリカの全土に、金光教の教会がある。その元を取られたのは、福田と云う先生であった。
 あちらへ行かれて、餞別に頂いて来ておられた全部のお金をです、全部お世話になった教会にお初穂として送り返された、内地の方へ。それこそこれからどうなるか分からない。しかも異国の地である。しかし神様が人を助けて下さると言う事の働きと言う事を、それは信じきっての行動でおありになったと思うんです。それが先生御一代であぁいう、いわばアメリカ布教をなし遂げられた訳です。
 そういう神様を信じきってと言う事と同時に、そういう一つの潔い度胸と云うものがです、お徳を受けられた元になったんです。だからそういう向い方です。だからどの様な場合であっても、神様を信じて疑わない。どんなに素晴らしい例えばおかげを頂いてもです。そのおかげ頂くまでがね、ジダゴダの考え方。おかげ頂っきることは頂っきるじゃろうかととか、信心しよって、どうして何時まっでん、こげん難儀が続くじゃろうかとか。そう言う事では、いつまで経っても、スキッとしたおかげにはならんです。
 またそれによって徳を受けたと言う事にはならんです。昨日は竹葉会でしたから、竹葉会でお話をさせて頂いた事でしたが、昨日竹葉会に立とうと思うておるところへ、日田から電話が掛かってきた、井出さんと云う方から。今朝から先生お夢を頂きましたと。丁度電話の掛かってきた時に、井出さんのお母さんと弟さんが初めてお参りの、ここでお届けがありよる時じゃった。今お母さんと弟さんが見えとりますよと。まあと云うてから、電話の向こうで云いよんなさった。
 実は今朝からお夢を頂きましたんですけれども。しっかり信心の稽古をさせて頂かなきゃならんがです。もし親先生が亡くなられたらどうするかと云うお夢であった。親先生がまだ生きとられる間に、分からん所は、しっかり尋ねとけ、分かっとけと云う様な御理解のお夢を頂いておられる。それで私は丁度土居の共励会の晩でした。大口教会の安武先生が丁度その場に、私丁度十二時頃ここに出て来ましたら、丁度安武先生がお広前に出て来とる所である末永先生と。
 そこへ土居の共励会を終って、ゾロゾロ帰ってきた。それで色々信心のお話をさせて頂いた後にです。文男先生が安武先生に、こう言う事を言っておった。甘木関係の方達の先代に対する思いと云うものは、本当に生神金光大神様として頂いてござるからですね、しかも直系のお爺さんに当たるわけですから。お爺さんの御霊様に対する、憧憬の念と云った様なものは非常に強い。そこで私は今皆さんに聞いて頂いた、甘木の初代の布教当時のお話をしたら、僕はそげな話は知りませんち言う。
 それは矢張り先代の連合いが、たまたまそのところを思い出して話されたお話が、新聞に載っとった訳ですから。そう言う事からまあ色々話をさして頂いたんですけれども、その後に文男先生がこう言う事を云っておりました。安武先生は本当に合楽の御比礼に浴したいと思うならです。一応これはお爺様のどういう素晴らしい信心であったもです。一応それを空にして、合楽一辺倒にならなければ、本当の合楽的なおかげにはなりませんよと言う事を云っております。
 何故かと云うとですどんなに甘木の初代がお徳を受けておられても、どういう信心を残しておられてもです。そういう信心が親先生がそれを行じなさったからと云うて、私どもが又行じて見ると、必ず分からん所にブッつかるんです。合楽の信心でも例えて云うならば、成り行きを大切にせろと、これが真の信心だと私が云うておる。そこで本気で成り行きを大事にしだした所が。
 安武先生が言う事には、本気で成り行きを大事にしだした所が、実際はお取次がどうにもこうにも出来なくなったと言う事を、その晩に話ております。と云う程に分からない所に突入して行った言う事なんです。そういう時にまだ私が云い出しておる所の、私に聞けばそこはこうだよ、ああだよと教えて頂く事が出来るんです。皆さんでも私が言うておる事を本気で行じてごらんなさい。行じて見るそこからです、あぁ成程と云うおかげも現れて來ると同時に、そこに壁が出来るです、必ず。
 その壁のところでグズグズしとったんじゃ出来ん。そこんところを私が御霊様になってからでは、お伺いが出来ません。だから今の内に本気で行じて、本気で分からんところはたずねておいて、一通り自分のもの、運転免許と云うがそういう信心の免許かいでんを受けとかなきゃいけないと云うことなんです今なら出来る。井出さんが頂いておるのは、そう言う事であった。
 だから本気で私が言う事を聞き貯めて、こんな事だ、あんなものだという風に、分かって人に伝えられるだけでなくて、自分が行じて、そういうおかげを受けて、そういう力を受けて、徳を受けておかなければいけないと言う事なんです。私は向こう倍力の徳と云うことは、頂いた事を本気で行ずる。そしておかげを受ける。又は行じたけれどもおかげが受けられないという壁にブッつかった時に。
 それをまたたずねてそこを求めて、その壁を突き抜けて行くと言う様な、そういう向い方に、神様は倍力の徳を下さるのです。ここまで分かっとると言った様な事じゃない。そこを突き抜けて通る行き方に、向こう倍力の徳と云うこと。だからお願いをするお参りをする、一生懸命参って神様に向こうておる。だからそういうていどではお徳じゃない。おかげは受けられます。
 ですから一つの難儀なら難儀と言うところを突き抜けたけれどもです。おかげをいただいたけれどもです。その間に私はどういう信心を身に付けたかと言う事を、反省し考えてみなければいけません。ただおかげを受けただけの信心では値打はない。あそこをとおりぬかせて頂いておる間に、あぁ言う事も分かった、こういう力もうけたと云うおかげ、それが徳になるのです。だからおかげを受けねばならない、その過程が如何に大事かと言う事が分かります。
 例えば御神意を伺う。神様に右が良いだろうか、左が良いだろうかと。親先生が右と仰った。それがまたお伺いせんならん様な事になった。その時は左と仰った。又お伺いせんならん事が起こった。その時にはまた右と言わっしゃった、という時に親先生が我がよかごと云いなさると言った様な事では、お徳は受けられんのです。昨日その事を竹葉会で話た事ですけどね。そう言う事すらも掴めていない。
 そう言う事すらも分かっていない。それは勿論右と仰ったから、右とさせて頂いたら、そこからおかげと感じられるものがある。左と仰ったから左へ行ったら、またおかげと感じられるものがある。また右と仰ったから右に向きを変える。おかげへの飛石伝いと言う事があるです。だから信心は、我武沙羅と云うことでは決してない。その辺のこつ合と云うものは、これは本気で私の云うことを何時もよう聞いとらんと、こういう時に親先生はこう云いなさると言う位な事を分からにゃいかんです。
 日田の本田さんが見えられて、娘がどうでも自動車を買うと云う。どうさして頂こうかと云うお伺いであった。そしたら買わせて頂く様にお願いしとこうと云うた。買わせて頂く事に決めた所が、何月何日に自動車を持って來ると言う事になった。頭金が十何万要ると言う事になった。さぁ所が、その頭金がどうしても出来ない。それでも親先生が買えと仰ったから、お母さんとしては一生懸命。
 その一生懸命の姿に、娘さんがまぁ気の毒だと思うた。自分が今の自分の信心で、自分の今乗っとる車で辛抱さえすりゃ、親にあげな心配は掛けんと思うたから、お母さんもうそげん心配せんでよかて。今迄は買えると思うてから、お掃除もしなかったばってん、これからは丁寧にお掃除をしてから、まぁ暫くあれで乗るから、お母さん、そげん心配せんでんよかよち云う。そしたらお母さんが、いいや合楽の親先生が買えち云いなったけん、どうでも買わにゃちこう云う。それでも金は出来ない。
 そこで佐田さんの所に電話が掛かってきた。それで佐田さんがそりゃね、親先生がどう仰るか分からんばってん、スミエさんと云いますが、スミエさんそれがおかげよ、私は思うと。娘がどうでも買わんならん、初めから買うちゃでけんと云うたら、信心のない娘がどう云うか。お母さん達が金光様金光様ばっかり云うちから、そげな事じゃけ金光様は好かんと云うに違いはない。
 所が娘が云う通りに、神様が買う様にと云われたから買う事になった。そしたらあんたの苦労を見て、娘の方がもうお母さん買わんでも良いよ、頭金の心配はいらないよと言うてくれよると言う事は、それがおかげじゃないねて。おかげで金の心配もせんで済んだのだから、それがおかげ。まあとにかく私が合楽に参ってお伺いをして來るからと言う事でお願いがあった。私もそれと同じ事を言うた。だからそれをそのまま向こうへ伝えた。それでお母さんも一安心なら、娘ももう不平を云わなくなった訳です。
 所がです今度は自動車の販売会社の方からです、どうでんこうでん買うて貰わにゃ、自分の顔が立たんと今度は言い出した。向こうの所長さんまで見えてから、しゃりむり言われる。丁度、あちらのお父さんが一杯機嫌の、あちらのお父さんと云うのは、飲んだらもう、金は山のごつある、金は山のごつあると言う癖がある訳です。もう何でんかんでんやらにゃでけんという癖がある訳です。それで向こうからセールスの方が見えて、お父さん、よかよかそれは俺が買うちゃると言わっしゃるそうです、お父さんが。
 そげなこと云うて、お金が、頭金さえ出来んとにお父さん、どうするですかて。これは酔払うて云いござるとじゃけん、本気にせんどいて下さいと云うけれども、ちゃんと契約書を作って判を押して仕舞うとる。そしてそこで言われる事がです。本当にお母さん、あんたが言われる様に、頭金も都合が出来んなら、それは私が立て替えて、私が都合しとくと所長さんが言わっしゃった。
 そこで又娘も買う気になった訳です。所が親先生が、今度は買わんで、それがおかげち言いなさったから、そげな事は出来ん。親先生がそげん言うてあるからと云うてから言われた。それでもいけんから、今度は又佐田さん所へ電話を掛けられた。そこで佐田さんは、そらスミエさん、それがおかげじゃなかねと、一番初め神様は買えと仰ったけれども、その時は頭金すら出来なかった。
 所が向こうはもう頭金はいらん、云うなら私が立替えとくとまで云いござると言う事は、こげなおかげがあるもんね。その時点をおかげ頂かねばいけないよ。それも親先生がどう仰るか分からんばってん、今から合楽に参ってお尋ねすると言う事であった。それでそのお届けが、佐田さんからあった時に、矢張り私の思いも佐田さんの思いと同じ思いであった。所が合楽の金光様ばっかりは、右ち云うたり左ち云うたり、わがよかごとばかり言うてからと、その娘さんが腹かいたと言う事でございます。
 けれどもほら向こうに行き当たり、こっち行き当たりしながら、そこにおかげと感じなければおられん事があるでしょうが。それをならば合楽の信心を本当に掴み得ていないとです。親先生が右と云うた時に、わが良かごと言うと言う事になったりです。確信がなくて、そう言うとるとじゃない。そうした方がおかげを頂いて行くから。それを飛石伝いとおかげの飛石伝いと確信しとるから、親先生が言われる事は、例え右と願って次に左と云われても、その時点を有難く受けて行くと云う。
 佐田さんがそこで感じられた様に、私が言う事と同じ様な事を思われた。そこまでくらいはお互い信心を体得しとかなきゃいけないよと云う話を昨日した事でした。グズグズ迷うてからじゃないでしょうが、迷わんで済むごたる答が、その都度都度にちゃんと出とるです。だからそう言う所の体得すらも出来ていないと言った様な事では、云うならばその娘さんが云われる事に、お母さん達のごと合楽の親先生、合楽の親先生と言うてから合楽の親先生が死んだらどうするのと云うてからやっぱり言われたそうです。
 そうですもう親先生が死んだら、全くお先真っ暗でしょうね。そういう生き方だけしか知らないならば。只お伺いをして答が出たら、それだけが御神意だと云う風な事では、本当に御神意の深さとか、神様の思いの裏とか表かが分かる位な、こら分かるです合楽の信心を頂いて行きよれば。そういう体得こそが身に徳を受けて行く修行なんです。ですから、神は向こう倍力の徳を授けると仰るが。只一生懸命参りよれば授けて下さるのではない。そういう例えて色々に申しましたが。
 お徳を受ける神様への一途の向い方、その向い方にです、何時の場合にでも神様を信じて疑わないという心で、次の行動に移られる様なおかげを頂かなければ、神へ向こうて、しかも倍力の徳を受けると云った様な信心ではないと言う事をね。これは昨日一昨日頂いたばかりの御理解ですけれども。又一段深くそこん所を、皆さんに聞いて頂いたんです。折角信心さして貰うのですから、只おかげに止まらない倍力の徳が受けられる様な信心を身に付けて行きたいですね。
   どうぞ。